万分の一葉集

朗読台本集

魔女と野獣

 

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魔女と野獣


 王子は魔女に育てられた。
 幼い頃から、母親も父親もなかった。兄弟も、居ない。魔女がひとり、居るばかりだった。
 それでも。健やかに育って王子は十六歳になった。
 
「実に醜い子供だねぇ、お前は」
 王子の顔を覗き込んで魔女はいつも溜息をつく。
「《野獣》それがお前の呼び名だよ。世界一みにくい野獣ちゃん」
 そんなふうに言われ続け、王子ももう十六歳だ。
「仕方ないのさ。それがこの国の王家の血筋なのだから」

 城の中庭で、毛虫がサナギになり、サナギが蝶になる様を、魔女は王子に見せた。
「野獣ちゃん、お前も十七になったらサナギになって十八で大人になる。醜い毛虫が美しくて立派な蝶になるんだ。大人に変身するんだよ。わたしはその日を楽しみにしているのさ」

 城の広間には、大きな絵が飾られていた。
 玉座に座り金の杖を持ち百合の刺繍の入った赤いガウンを着ている。ただ、その顔はどす黒く、血走った眼は両側に離れ、額は瘤のように盛り上がっていた。濁った色の眼には、細い瞳がメダカのように鈍く光って泳いでいた。
 画面全体に生臭い息の匂いが立ち籠めているように、王子には思えた。
「これが、お前のお父様だ。どうだい? 立派だろう? 美しいだろう? この姿こそ、ほんとうの人間の姿というものだ。お前も十八になって大人になれば、こんな気高い姿になれるのさ。変身するんだ。蝶のようにね。まあ、それまでは、自分の醜さのことは、あまり考えないことだよ、野獣ちゃん」

 その野牛=バイソンのような姿は、王子を怖がらせた。これこそ野獣そのものじゃないか。こんな怖ろしい姿をどうして「美しい」と思わなければいけないのか。まして、自分がこのような姿になるとは……
 いま、どんなに醜いとしても、自分はこのままで居たい。変身などしたくない。大人になんかなりたくない。こんな野獣のような姿になるくらいなら……

 城の北の端の塔の中に、鏡の間がある。
 鏡の間には、薔薇を胸に抱えた少女の像があった。木靴を履いて髪に刺繍の入ったリボンを結び、この国の村娘の恰好をしている。像は大理石で出来ていて足許からはやさしく暖かいお湯がこんこんと湧き出てバスタブに流れ込んでいた。像は隣の国の王女だった。魔女にさらわれてこの城に連れてこられ、石の像にされてしまったのだった。
 鏡を眺め王子が嘆き涙するのを、村娘の像はいつも見ていた。
 王子は像に背中を向けていたが、鏡に映る王子の顔は、はっきりと見て取れた。

「ぼくはほんとうに醜いんだろうか。薔薇は美しい。お城の庭も美しい。月も星座も天の川も美しいと思う。昼間の空の色もきれいだ。池や睡蓮や水鳥だって美しい。森の木々も美しい。でも、あの絵に描かれた野牛のような姿を、どうしてもぼくは美しいと思えないんだ。だれか教えてくれないか。ぼくはあの絵を美しいと思い、自分を醜いと思わなければいけないのか。ほんとうはぼくは美しいのじゃないか、と思うことがある。鏡を見て我ながらうっとり見とれてしまうことがあるんだ。ぼくの眼がおかしいのだろうか。頭がおかしいのか」
「あなたは今まで誰も見たことがないほど美しいのよ」と、薔薇の村娘の石の像は、叫びそうになる。でもなにしろ石の像なので声にはならないのだった。
 薔薇の石像は王子が可哀相でならなかった。
「あんなに美しいのに、あんなに悲しまなければならないなんて」

 村娘の石像は、魔女の悪巧みを知っていた。魔女のほんとうの姿も知っていた。あの絵に描かれた野牛の姿こそ、魔女自身の身体なのだ。王子が十八になったとき、魔女は王子の身体と自分の身体を入れ替えるつもりだ。魔女は今までもそのようにして四百年生きてきた。今度も若く美しい王子に乗り移って半世紀は生き延びるつもりだろう。
 
「こんなに美しい王子様をあんな卑しい姿に変えようなんて」
 しかし、冷たい大理石にされてしまった王女には、魔女の悪巧みを王子に伝える手段がなかった。

「おや、野獣ちゃん、またこんなところで鏡を見て泣いていたのかい? 何度見ても同じだよ。お前の顔は変えようがないのさ。鏡なんか見ないのが一番」
 「ひひひ、大人になる日がはやく来れば良いねぇ。そうなればお前も悩まずに済むようになる。好きなだけ食べて好きなだけ垂れ流し好きなだけ子供を作れば良い。好きなだけ人を殺して食べても好いんだ。それがこの国の王の気高い血筋」
 聞くだけで王子は震えた。いやだ、絶対にそんな大人なんかになりたくない。

 魔女の言葉を聞いていた村娘の石像の眼がキラと光った。涙が一粒こぼれた。涙は石で出来ていたので、黒大理石の床に跳ね返ってカチンコチンと音を立てた。
 魔女が振り返り、
「おや、石の癖に涙を流すのかい。なまいきな小娘だね」杖で思い切り薔薇の像をひっぱたいて出て行った。

「王子様」
 薔薇の村娘の像が声を掛けると、王子はギクリとした。薔薇の像自身もびっくりした。
「あら、わたし、声が出せるわ。どうしてかしら」
 王子は魔女以外の者が喋るのを聞いたことがなかったので、恐怖に立ちすくんだ。
「さっき魔女が杖でわたしを叩いたから、それできっと魔法が解けたのだわ」
 村娘の石像は、冷たい白い色から暖かな薔薇色の肌になった。紐で結ばれた髪の毛はかがやくばかりの金色。着ている服も王女の部屋着に替わった。
「わおおおお」
 王子が声にならない声を上げた。そこには、鏡で見る自分の姿のように「醜い」者が居たから。魔女から教え込まれた価値観では、王女の姿は醜く卑しいはずなのだった。
「近寄らないでくれ。これ以上ぼくを苦しめないで。ぼくみたいに醜い者が倍に増えてしまった。頭がおかしくなりそうだ」   
 王子は泣き叫びながら出て行った。

 王子はベッドに倒れ込んだ。
 さっき起こったことを、どう受け止めればよいのか。
「魔女はいつもぼくのことを『醜い』と言って笑う。馬鹿にする。そして広間に架かったあの野牛のような姿になれと、教えてくれる。それが大人として美しく立派になることなのだ、と。大人の王になり『真実の人間』になったら人をたくさん殺して食べるのだ、と」
「さっき突然現れた小さな人は、まるでぼくのような肌の色、僕のような青い眼、ぼくのような金の髪の毛だった。唇と頬は薔薇のような色だった。もし、ぼくがほんとうに醜いのだったら、あの小さな人も醜いことになる。でも、ぼくはあの人をぜんぜん醜いとは思わなかった。いや、醜いと思わないどころか今まで見たことがないくらい美しいと思った。あの人が美しいなら、それに似ているぼくだって美しいんじゃないだろうか。少なくとも『醜く』はないはず。では、広間に描かれた大人の王の姿はどうなるんだ? あれは 『美しい』のか『醜い』のか」
 考え過ぎて王子は頭が痛くなってきた。

「ここにいらしたのですね。このお城はお部屋がたくさんあってなかなか見つけられなかったわ」
 鏡の間で大理石の像にされていたとなりの国の王女がドアの横に立った。城ではドアはどの部屋も開けっ放しだった。魔女と王子ふたりしか居ないので、扉を閉める必要がなかったのだ。
「来ないでくれ。ぼくは頭がおかしくなってしまう」
「王子さま、一言だけ、どうしてもお伝えしなければなりません。あなたはけっして醜くなんかありません。それどころかおそらく世界中で一番美しい方なのです」

 ドアの外に魔女の気配がした。「いけない。魔女だわ。ごめんなさい」王女はそう言って、王子のベッドの下に隠れた。 
「あのバカ娘に何を吹き込まれた? あの子の言うことを信じちゃいけないよ。あれはお前を陥れようとしているんだ。今のお前は幼稚で毛虫のように醜い。脱皮して変身して真実の人間の王になるんだ」
「いやだ。ぼくは人間になんかなりたくない。野獣のままでいい。人をたくさん殺したり食べたりなんか、絶対にいやだ」
「おや、わたしに向かってなんだい、その口の利き方は。そうかい、それじゃあ仕方ない。十八まで待たずに今すぐにお前を人間の大人の姿にしてやろう」

「魔女の言うことを聞いてはダメよ」
 王女がベッドの下から飛び出した。
「大嘘つきの魔女さん、あなたの企みをみんな話してしまいましょう。王子様、この魔女はあなたの身体を乗っ取ろうとしているのです。若く美しい王子様の姿になって、この国の王になる計画なのです。王子様を醜い野獣の姿に変えて、荒れ野に放すつもりです。けだものにふさわしい卑しい心を持つように、あなたを教え込もうとしてる」
 「えいっ」王女は魔女のマントを思い切り引っ張った。マントの下から野牛のようなどす黒い姿が現れた。
「王子様、ご覧なさい。これが魔女の正体よ」
「いまいましい。もう少しですべてがうまく行くところだったのに。こうなったら破れかぶれだ。すべての魔法を解いてしまおう。このお城中が大騒ぎさ。キャボーッ」
 魔女は悲鳴のようなうなり声のような声を残して城を飛び出して行った。

 魔女の言った通り、城は大混乱になった。魔女はそれなりに秩序を保っていたのだ。それが解き放たれてしまった。
 椅子やテープルにされていた家来や、噴水の像にされていた女官、壁紙や絨毯にされていた侍女などが、魔法から解けて起き出した。急に賑やかになった。もともと椅子やテーブルだったもの、もともと噴水の像だったもの、元々壁紙や絨毯だったものはそのまま残ったが、半数が人間にもどってしまったので、お城の中は継ぎ接ぎのあばら屋のようになった。魔女が行き当たりばったり、思いつくままに人間を家具や調度に変えてしまっていからだ。
 王子の大きなベッドは大男の執事に戻った。王子は寝るところがなくなってしまった。まさか、大男の執事に抱かれて寝るわけにも行かない。噴水の像にされていた女官たちなどは着る物がないので、きゃあきゃあ言いながら身を隠すところを探した。
 隣の国の王女は家来や侍女たちにてきぱきと指示を出し、足りなくなった家具を調達し、城を片付け始めた。女官たちにも服を着せてあげた。もちろん、王子には立派なベッドを誂えた。
 すべてが片付くと、料理人に言いつけて豪華な夕食を用意させた。 城には昔のように整然とした秩序と華やかさが帰ってきた。

 やがて盛大な宴会が催された。
 隣の国から王女の父母、つまり王と妃が馬車で駆けつけた。王と妃は王女の無事をたいそう喜んだ。

 隣の国の王様が銀の杯を高く掲げながら、
「王子様、あと二年してあなたが十八になったら、うちの娘を貰って下さらんか」 、
 と、王子を見た。妃が微笑みながら頷く。
 王女も青い眼をきらきらさせて王子を見詰める。
「それはできません」
「え、どうして? わたしではいけないの?」
「いえ、いけないどころか王女様あなたは、世界中で一番美しくて賢くて、ぼくは大好きです」
「では、なぜ?」
「それは」
「それは?」
「それは。うわわわわ」
「どうしたのです」隣の国の妃が王子を助け起こす。
「ぼくは、ぼくは、大人になったら……」
「大人になったら?」
 隣の国の王、妃、王女、料理長、執事、女官、侍女、広間に居たすべての人が王子を見詰めた。
「大人になったら、ぼくは、ぼくは」
 「?」
「あなたを殺して食べちゃうかも知れないんだ。ううううう」
「もう、そんな心配は要らないのよ。あなたは人々を愛する立派な王になります。けっして野獣のように人を殺したり食べたりはしないでしょう」
 王女はやさしく王子の手を握り返した。  

                                                                                おしまい

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